がん闘病記と日々雑感

がん闘病記と日々雑感

~右往左往の備忘録~

⑬<多発性表在癌>2017年6月〜7月

<がんセンター診察>

6月22日、夫とがんセンターへ。1週間前に受けた内視鏡検査の結果を聞くためだ。PETで完全寛解が出たばかりだったので、ちょっとした遠出の散歩気分。夫が一緒に来たのは検査を請け負ってくれたお礼を言うためだった。

夫「この度はありがとうございました。色々と不安なことばかりだったので、別の角度からのご意見を伺えるようになって心強いです。」

H先生「それは良かった(ニコッ)ところで、ですね、検査の結果なのですが、陽性が出てしまいました。」

私・夫「え??」

H先生「あ、再発ではありません。(モニターを見せながら)元の原発から少し離れたこの部分、以前からヨード不染帯だったところなので生検はしていたのですが、今回陽性が出ました。」

私達はモニターを食い入るように見た。色はヨードによって変わっているが、小さな段差も突起もない。白子とは大違いだ。

H先生「早期なので内視鏡で切除できます。ESDという手法です。どうしますか?」

私・夫「どうもこうも、すぐお願いします。」

H先生「では予約入れますね。T大病院Y先生には報告書を出します」

私「お願いします。T大病院には私からも報告します。」

ステージは0と想定。その後、手術の説明を聞き、診察室を後にした。

手術は7/5で入院は1週間。ESDという手法は表面に出来た早期ガンを内視鏡で粘膜下層の組織ごとはぎとる、というもの。食道壁は3~4mmしかないため、執刀側には高度な技術が必要だが、患者側からすると後遺症もなく治りも早い。

元々は帰りに映画でも見ようかと計画していたのだが、予想外の展開に気持ちが萎え、また入院手続き等々をしているうちに2時間程かかってしまい、真直ぐに帰宅。

私「張り切って色々やってたのに、また水差された気分」

夫「でもさ、これが最初に見つかってたら大騒ぎしてたと思うけど、ステージ3の後のステージ0だから、何てことないよね。内視鏡で取れるんだし。」

私も同意したものの、ぶつぶつ言いながら手術前後に入れていたゴルフレッスンや快気祝いの会などをキャンセルした。そしてT大病院に電話し、事情を話した上で診察予約を入れる。

 

<T大病院診察 翌日>

Y先生「がんセンターから報告書届きました。スキップはね、よくあることですよ。再発じゃないんだし、すぐに見つかってすぐ処置できるんだから、良かったじゃないですか」(大声)

私「(スキップって言うんだ、、、)そうですね。ところで、再発と多発性表在癌って何か相関関係あるんですか?」

Y先生「相関関係?」

私「多発性表在癌ができやすい人は再発もしやすい、とか」

Y先生「それは全然ないです! 何ていうか、、、、新たな原発が出来たって感じかな」(大声)

私「じゃあ心配ないんですね」

Y先生「はい! じゃあ手術がんばってね! あ、この後A先生の診察も入ってるからね」(大声)

 

私はA先生の予約はしてないけどな、、、と不審に思いながら隣の診察室に入った。

私「多発性表在癌っていうのが出来ちゃいました」

A先生「はい、聞きましたぁ。でも大丈夫ですよ。内視鏡で取れちゃう大きさなんだし。多発性表在癌は心配ないんです。ふふ」

私はこの時、A先生は私の気持ちを心配して診察を入れたのだと察した。

私「あ、もしかして、私が落ち込んでると思って会ってくれたんですか? 大丈夫ですよ、私。」

A先生「あ、大丈夫そうですね。ふふ」

私「ESDって難しそうだけど、がんセンターなら安心だし。だけど、色々張り切って始めてたから、水差された気分ですけどね。私、マクロビにしたり漢方やったり温熱やったりレイキやったり、色々やってるんですよ。でも出来ちゃうんですね、ガンって」

A先生「レイキって何ですか? マクロビはいいですねぇ。私もやろうかなぁ、あれって痩せますかね?」

知らんがなと呟きながら、何て可愛らしい人だろう、と思った。

A先生、ダイエット必要なほど太ってませんよ。私の気持ちを慮ってくれてありがとう。会って良かったです。確かに癒されました。

 

入院の準備として今回は自然食品の店に行き、玄米のおかゆ(レトルト)やフリーズドライのお味噌汁などを買う。部屋は4人部屋にした。

 

手術当日。夫に「手術中に地震が来ないように祈っててね」と言いながら手術室へ。マウスピースをしながら、H先生に「よろしくお願いします」と言った後の記憶はない。気がつくと部屋に戻っていた。隣にいた夫が「あ、起きた。良かった、ヒマだったんだよね」と笑う。

 

回診でH先生に会う。予測通り1cmない大きさでした、全て取りきれましたよと言われ安堵する。手術翌日まで絶飲食だが、想像してたより辛くない。それよりも食事が始まってからの病院食の方が辛かった。隣のベッドの人(70代の女性)が、「これって冷凍よね」と言う。私は「冷凍だったらもう少し美味しいんじゃないですか」と返しつつ、持ち込んだ玄米おかゆとお味噌汁に変えた。

 

3日後、母と弟が来る。母は「みんなガンなんだと思うとドキドキしちゃう」などと言いながら、所在無さげにしていた。案外元気そうで安心したと言いながら帰る。帰路を弟に促されながら、何度も振り返り手を振っていた。

 

入院4日目。隣のベッドにずっと咳が止まらない人が入ってきた。とても辛そうに咳をする。私は居たたまれなくなって、夜中にナースステーションへ行き相談。そのまま個室に変えてもらった。

 

その後は友人が来て長話をしたり、夫が持って来た大量の雑誌を読んだりしながら特に問題もなく過ごし無事退院。あっけないものだった。