がん闘病記と日々雑感

がん闘病記と日々雑感

~右往左往の備忘録~

⑩<診察と検査>2017年2月~4月

<Sクリニックへ>

2日後、夫と一緒にSクリニックに行った。

入るとそこはホテルのロビーのようであった。贅沢な調度品、柔らかいソファー、BGM。患者を労わるというコンセプトが伝わる。ソファーに座るとスーツを着た女性がハーブティーを持ってきてくれた。待っている間に問診票を書く。

診察室に入ると、ネクタイをした医師が迎えてくれる。Y先生のネクタイ姿は見たことないな、と思いながら、室内の柔らかいソファーに座る。ネクタイ先生は柔らかい物腰で話しやすい印象。

今までの経緯を説明し、いくつかの質問後、免疫細胞療法についての説明が始まる。各コースの説明の後、副作用やスタートのお勧めタイミングなどを質問する。

ネクタイ先生「主治医より治療中はNGということであれば、治療後に始めるのでも良いと思いますよ。」

私「治療中の方がより効果がある、とか、副作用が軽くなる、などのことはありませんか?」

ネクタイ先生「それは人によりますね。カオルコさんがどのパターンかは事前には分かりません。」

夫「彼女の場合、何クールぐらい受けるのがお勧めですか?」

ネクタイ先生「そうですね、大体皆さん、2~3クールぐらい受けられます。中には10クール受けている患者さんもいらっしゃいますが。」

 

夫がなぜ保険適用にならないのか等々の質問をすると、効果がある人とない人がいて確定的な治療にはなっていないため、というようなことを言った。

私「効果を見込めるか、事前にチェックする方法はないのですか?」

ネクタイ先生「ありません。」

私(残念。だけど私は効果がある人かもしれない。賭けだけど、そうだったら価値は十分!)

夫「その割合は?」

ネクタイ先生「それは出せないのです。効果があった人も、この治療によってかどうかは確定できませんので。」

私(ん?? 治った人全員を仮の母数にして暫定の数字は出せるはず。絶対に数字はある。それを言わない。それはたぶん、、、、その数字が低いからだ。)

 

私達は診察室を後にした。そして夫に私の推測を話した。夫も同じことを思っていた。

私が「これは最後の手段にとっておく。再発してどうにもならなくなった時とか。」と言うと、夫も同意した。

 

<再び主治医s 診察>

診察室に入ると、いつもの血液検査結果を聞く前に、私はSクリニックのことを話した。

私「Sクリニック、行ってきました!」

Y先生「あ、そういえば紹介状の返事、来てましたよ」

私「(どんな返事だったんだろう?)やっぱりやめました。ちょっと確率低そうなんで。再発とかしたらまた考えます。」

Y先生「懸命なご判断だと思います。」

私「再発も何も、まずは寛解ですけどね(笑」

その後、いつもの血液検査の話。低レベルながら安定はしている。

Y先生「ちゃんと食べてます?」(大声)

私「いや、詰まりで中々食べれなくって、、、」

Y先生「がんばって食べてください! バナナとかなんでもいいんで! 休薬中はとにかく蓄えなきゃだめです!」(大声)

私「はい、、、がんばります」

Y先生「はい! じゃあまた来週! 食べてね! バナナとか!」(大声)

 

A先生の部屋に移動。

A先生「血液検査、いい感じですねぇ、ふふ。」

私「緑のドロドロ、全然効かないですよ」

A先生「やっぱりねぇ。やめちゃっていいですよ。ふふ。」

私「もうやめてます。何か痰を飲んでる感じだし」

A先生「え~気持ち悪いですねぇ。(モニター見ながら)あ、肺はキレイですよ。とってもきれい。数値も問題なしですぅ」

 

A先生は癒しだ。

 

休薬中に母が数回、見舞いに来た。

「カオルコ、、、」と会うなり泣き出す母に、心底申し訳なく思った。

「治るから。治すから。」と言いながら私も泣いた。母はあまりガンの話は聞きたがらなかったので、病気以外の話を無理やりした。孫(弟の娘)のことや親戚のことなど。

友人達とは長電話。ひたすらガンのこと、主治医のこと、治療のことなどを疲れるまで話し続けた。母も友人達も、何か出来ることがないかと聞いてきたが、ないと答えた。実際、手伝ってもらうことは何もない。そう言うと、母はとても寂しそうに見えた。

 

<再び、中間効果測定>

放射線治療が終わり、引き続き抗ガン剤の日々の中、造影CTと内視鏡を受けることになった。

Y先生「そろそろ放射線の効果が出る頃なので、CTと内視鏡、やりましょう!」(大声)

私「内視鏡は麻酔ありでお願いします」

Y先生「え! ウチは麻酔ありってないんです。リカバリー室がないんで」(大声)

私「無理です! 私、苦しいのダメなんです。ジタバタして内視鏡引き抜いちゃうかもしれないですよ!」

Y先生「それはダメだな、、、、」

 

私はこの時、チャンスだと思った。今後のことを考えると、このまま放射線科だけでは不安だったのだ。特に再発した時のこと。次の治療はほぼ手術になる。そうなったらT大病院内で外科に移るか、転院するかだ。院内で移った場合、Y先生が言っていた「外科は〈権力が)強い」という言葉が気になる。それが真実なら放射線科から移ってきた患者は大事にされない気がする。なので外科の力が必要になったら、転院もしくは別の病院の外科と連携する形が良いと思っていた。そしてそうなるなら、今度こそ、がん専門病院が良いと思っていた。放射線後の手術は難度が高い。だからこそ最新技術で。

そこでこの機会に、とりあえず内視鏡検査をがん専門病院で受けて、足場を作っておこうと思った。しかも内視鏡で何か見つかればすぐに処置でき、時間のロスがない。

 

私「じゃあ麻酔してくれるところを自分で探していいですか?」

Y先生「いいけど、放射線後だからイヤがるんじゃないかな?」

私「がんセンターXとか」

Y先生「えー、受けてくれるかな?」

私「やってみます! オッケーもらえたら紹介状お願いしますね」

帰宅後、がんセンターXの予約センターに電話する。事情を説明すると内視鏡科に回り、再び事情を説明。時間がかかったが、受けてくれることになった。(その後さらに、がんセンターから直接Y先生に電話があり、色々やりとりをしたと後で聞いた。連携と言ったら言い過ぎだろうか。この後定期検査は、内視鏡はがんセンターで、それ以外はT大病院で、という形になった。)

 

<がんセンターへ>

初めてのがん専門病院。待合室ではゆったり出来た。感染の心配がないので咳などに怯える必要がないからだ。担当のH先生は真摯なイメージのとても感じが良い先生だった。その3日後に検査。結果は『明らかな腫瘍残存の書見を認めません』というものだった。

 

再びT大病院診察。 

Y先生「順調ですよ! いい結果です! 次はPETしましょう。1ヶ月後ぐらいかな。」

私「中々寛解とはならないんですね。」

Y先生「放射線の効果はじわじわと来るものなんですよ。まだまだ! 大丈夫ですよ、ここ2年、遺残は出てないんだから! ではまた来週!」(大声)

 

早くはっきりした結果が出ないかな、と思いながら診察室を後にした。