がん闘病記と日々雑感

がん闘病記と日々雑感

~右往左往の備忘録~

逆ギレ男と変な人と

さて、、、更新が滞ってしまいましたw

前回の内視鏡検査も問題なくクリアし、特に変わりなく過ごしております。次の検査は来月。一年ぶりにPETを受けます。

あいかわらずゴルフの飛距離が戻らず、やけになって練習しまくっていたのですが、そのおかげで腰やら股関節やら手首やらが痛くなり接骨院に通う日々(^^;) で、その帰り道に逆ギレ男と遭遇しました。接骨院を一歩でたところで、背後からものすごい勢いでママチャリが曲がってきて私の背中スレスレを通過。もう少しで轢かれるところでした。思わず「びっくりした~」と言うと、、、、そのママチャリのオッサンが「死ねよバカ」と。

 

いやいやいやいや、、、

 

轢かれそうになったのは私なんですけど!

そこは「あ、すいません」でしょ。

百歩譲っても「そそくさと無言で立ち去る」でしょ。

「死ねよバカ」って、、、逆ギレにも程があるでしょ~~~

 

どういう理屈で「死ね」と思ったのか、小一時間問い詰めたい。まじで。

 

で、逆ギレではないんですが、変な人との遭遇体験も色々思い出しました。

その1。早朝5時位に若い女性がジョギングしているのですが、いつも「なによー!やめてよー!出てこないでよー!!やめてって言ってるでしょー!!」などと絶叫しながら走っているのです。…コワイです。何が見えているんでしょうか。

 

その2。夫の体験。前を歩いている男性が突然振り向き、ニヤッと笑い「次は~北千住~北千住~(駅長風に)」と言ったとか。…コワイです。うっかり反応したらアウトって感じです。ちなみに北千住でも駅でもない場所で。って、北千住や駅ならいいのかって話でもないけどw

 

その他、満員電車内で「殺してやる殺してやる」と手すりをグーパンチし続けるオッサンとか、突然歌い出すオネエサンとか。

 

彼らの人生に何があるのかもちろん全く分からないけれど、みんなきっと大変なんだなぁと思うのであります。おわりww

 

なぜオジサン?

今月は15ヶ月目の定期検査でした。CT・MRI・内視鏡のうち、CT・MRIは再発の所見なしの結果が出ました(^O^)ウレシイ 内視鏡の結果発表は来週。

今回は主治医のY先生が学会出席だったため、もう一人の主治医A先生に診察してもらったのですが、以下、血液検査のこと。特に問題はなかったけど、肝臓系の数値が引き続き少し悪かった。と言っても、γ-GTPが48程度。

Y先生→主治医。大柄&大声で威勢の良い40代男性。カラッとした性格。私に放射線治療を決断させてくれた、運命の人。日々感謝して暮らしてます。

A先生→ある治験を受けたため担当になった先生。小柄で早口の20代に見える女性。細かいことも親切に対応してくれるが、基本天然。変な発言が多いが本人は気づいてない。密かに癒されてますw

 

私「肝機能の数値、まだ基準内じゃないんですねぇ。もう1年たつのに。。。」

A先生「まぁ気にする数字ではないですよ。ちょっと昨日飲んじゃったオジサンぐらいで」

私「(なぜオジサン?)いや全然飲んでないし、、、」

A先生「(フォローのつもりで)だからちょっと飲んじゃったけど普段は健康なオジサン、ぐらいの数字だから大丈夫」

 

A先生、「オジサン」の部分はなぜか絶対に譲らないw  

別に深く考えることじゃないんですが(A先生だし)

  • ちょっと飲んじゃった(^^;)テヘヘ というのはオジサンを連想させるから
  • 食道ガンはオジサンガンだから
  • 私がオヤジギャル(死語)だから

さてどれでしょう~?w

 

 

桜をいっぱい見る

春ですねぇ。桜満開ですねぇ。桜大好き(#^.^#)

近所に桜で空が見えないほどになる公園があるのですが、そこを通りかかって思い出しました。1年前のこと。

まだ抗がん剤服用中で倦怠感激しく、でも桜満開が嬉しく、その公園までノロノロと歩きベンチでぼぉーっとしていた日々。ただ桜を見るだけ。考えていたのは、もう桜を見ることが出来ないかもしれない、だから今のうちにいっぱい見ておこう、と。別に桜をたくさん見たところで死後の行き先が変わるわけでもないのにねw

あれから1年たって、体重がようやく元に戻り、それと共に体力も戻ってきた。今月上旬、ゴルフ合宿@南国に行ってきたのだけど(楽しかった(^O^)/) ゴルフ→ショッピング→海→ゴハン、とフル活動も問題なく、なんだかガン発覚前よりも疲れ知らずになった気がする。これは単に南国パワーかもしれないし、今まで地味に続けていた体づくりの色々が効いてきているのかもしれない。もしかしたら、、、これが理由としては一番うれしいのだけど、ガンの症状として「疲れる」というのがあるので、それがなくなった今(と断言してみるw)疲れにくくなった? いずれにせよカラダで実感できることは素直に嬉しい。桜をいっぱい見るだけの日々からよくぞここまでと感慨深く。

 

というわけで体の調子は上々なのだけれど、再発の不安という爆弾ストレスは抱えている。昔、子宮筋腫の疑いで婦人科にかかったことがあるのだけど、結局筋腫はなく不調の原因が分からないということになり、私が「ストレスのせい?」と聞くと、女医さんが「それはない」ときっぱり言った。彼女曰く、ストレスというのは結局、生存不安・死への恐怖。人も含め動物は命の危険を感じると(つまりストレスを感じると)子孫を残そうとするから、生殖器系はかえって好調になる、と。私はその時「ストレス」ということを学んだ気がした。何らかの問題が、巡り巡って自分の生存をおびやかすかもしれない、という恐怖なんだなぁ、と。(巡り巡ってとは、例えば何かの問題で生活や心が破綻して生きる気力がなくなる、ということも入る。)で、今抱えている再発への不安というのは、巡り巡らなくても生存をおびやかすものだから、これは究極のストレスだと思う。

 

今まで私のストレス対処法は、問題から逃げる!というのが第一選択だったんだけど、今回は逃げようがない。かと言って、正面からがっぷり四つに取り組むのも私には無理。(この恐怖にしっかり向き合える人は強い。実存をテーマに小説とか書けると思う。って別に小説じゃなくていいんだけどw 何かを成し遂げる人って意味で) そんな強さを持たない私はどうするか? 小出しに発散しつつ、何とかやり過ごすしかない。たとえば数々の再発予防策は、実は再発を阻止するものではないけれど(そんなものがあれば誰も再発しない)、経過観察中の患者にとってはストレス発散にはなる。信じる人にはニンジンジュースも青汁も、作る時間を含めストレス発散になっているはず。最新情報を気の済むまで調べる、とか、体の声に敏感になる、とか、はたから見れば時間の無駄に思えるようなことでも、目的をストレス発散とすれば十分に価値があると思う。逆に「このくらいOKじゃない?たまには息抜きも必要だよ」という一見ストレス発散に見える自他からの誘いには乗らない。心の奥に「でも大丈夫かな?」という思いがあれば、日常のストレス発散は出来ても本丸の再発ストレスは大きくなる。必要なら「このくらいOK?」じゃなくて、これをしても問題ないという確信をもってする。実際、何かをちょっとぐらいしたところで、それが原因の再発なんてない。ポイントは確信できるかどうか。出来なければやらない。

 

再発自体はコントロールできないものだけど、ストレスには抵抗する。そんなものに潰されたら本末転倒だよね。このストレス、良い面は時間が解決するということ。あと3年10ヶ月。何をしていても、1分1秒は確実に過ぎるという不変の真実が最大の味方であります。すごいな時間!頼むよっ

 

とりあえず今は、ストレス発散のために桜をいっぱい見よっと♪ ←結局桜が好きなだけw 

2月に思うこと

2月は私にとって特別な日が多い月。誕生日、父の命日、結婚記念日があるからだけど、今年から「放射線治療が終わった日(2/24)」が加わった。

 

いきなり閑話休題1 40歳位から誕生日は祝って良い日なのか分からなくなって、ウチでは誕生記念日と呼んでいますw  誕生日は年を取るけど記念日なら年を取らないwww んなわけないm(__)m(__)mスミマセン

 

閑話休題2 その誕生記念日は2/19なのですが、子どもの頃、自分の星座が分からない時期がありました。ご存じの方も多いと思うのですが、星座の境の日生まれの人って、生まれた時間(+場所)で決まるんですよね。その時間は生まれた年によって違う。正確に言うとズレていく。。。ややこしい(星座と星座の境界のことを「カスプ」と言うらしい byグーグル先生)結論から言うと私は水瓶座なのですが、小学生の頃に雑誌の星占いで星座の期間が混在し始め、水瓶座を1/21-2/19とする雑誌と、1/20-2/18とする雑誌の両方ありました。今は後者で定着。小学生の女子って星占いで気になる子との相性を見てキャッキャッウフフする生き物だと思うんですが、雑誌によって水瓶座だったり魚座だったりする私は周りを多いに混乱させました。当時はグーグル先生もいないし、自分がどっちだか分からず、キャッキャッウフフする集団に水を差す存在だった私。。。それって人格形成に何らかの影響を与えてると思う(断言) ちなみに私の生まれた年(1964年)は2/19の午後10時までが水瓶座でしたが、2018年生まれでは2/19の午前2時までです。2/19生まれの水瓶座はいよいよ超少数派の時代へ( ; ; )ナンダカサミシイ

 

閑話休題3 そして2月は4年に一度、冬季オリンピックがある月でもあります! 毎日楽しかったぁ!(^^)! 私の推しは平野歩夢くん! 実は10年近く前、歩夢くんのお兄ちゃんの英樹くんに仕事で会ったことがありまして。そこでお兄ちゃんのスケボーを見て超々感動したのです(#^.^#) お兄ちゃんはまっっったく1ミリも覚えてないと思いますが、私としてはあの英樹くんの弟が!とソチの時から、まさしく親戚のおばちゃんのノリで盛り上がっておりました。歩夢くん、カッコよかったぁ~! ショーンに勝ってましたよねっねっ

 

2月に新たに加わった「放射線治療が終わった日」・・・昨年の当日は終わる事がとても嬉しく、もうこの台に二度と乗ることはない(はず)と思いながらぐるぐる回る白い機械を見つめていた。毎日よく通ったよねと感慨深く、かかっているBGMを覚えておこうと思ってたけど、すっかり忘れました(えっ) その後、放射線の副作用で食道炎になり、酸っぱいものが染みて辛かったけど、2か月間ほどで収まった。食道の放射線治療は、咽頭粘膜炎を起こすと辛い(唾液が出なくなる、味覚障害など)と聞くが、私は照射が下の方(胸部下部)だったので幸いにも食道炎だけしか起きなかった。後遺症としては、照射した部分の動き(伸び)が悪いらしく、食べると詰まる感じは残っているが、一番悪い時期を10とすると1ぐらい? また、晩期の後遺症で、重症にもなり得る放射線肺臓炎というのがあるので肺は特に注意してきたが、それも危ないと言われる「治療後6か月」という峠は越し、主治医のA先生曰く「肺はとってもキレイよぉ」ということなので、あまり心配はないと思っている。これが起こる可能性はピーク時で20%位。その他、1%未満の確率で起きる致命的な後遺症は色々あるが(誘発癌や心臓疾患など)、個々人からすれば1%未満の後遺症を気にしていたらどんな治療もー治療どころか検査すらー出来ないと思う。気にしたら検査の同意書にすらサイン出来ないですよね。もちろん医師から見れば、100人に1人に起きるというのは決して少ない数字ではないし、実際に起きた人を見ているから、それぞれ「放射線は怖いby外科医」「手術は怖いby放射線科医」ということになるんだけど。

 

というわけで、1年たった現在の状況を備忘録として:体重は先日ようやく元に戻った(^^)パチパチ 目標を超えた時は嬉しくて体重計の写真を夫にLINEしましたw  やったことは単純で、コメ(玄米だけど)を2倍食べるっ!  がんばった( T_T)\(^-^ )ヨシヨシ

抗がん剤の副作用は治療後半年位でなくなりました。副作用といっても、辛いと聞く口内炎や脱毛などは起こらず、便秘と倦怠感だけですが。。。m(__)mスミマセン 

食道については食道炎は治り、前述の通り重大な後遺症もないが、「詰まる感じ」のため食べるのは遅い。が、単なる「感じ」なのか、本当に詰まるのか、トライしていないので実は分からない。早食い=詰まるというトラウマが出来てしまっている方が問題。食べられない&飲めないものもあり、特に詰まりやすかった麺類や揚げ物は未だに怖くて手を出せない。飲み物だと炭酸が怖くて飲めない。あと、痛そうで刺激物が食べられない。でもまぁ、このくらいはしょうがないと思ってます。本気で治すとしたら心療内科かなと思いますが、、、メンドクサガリな私の答えは「放置」ですw がんばって治せばご褒美にビール(炭酸)が待ってるんですが、そのがんばり&治す運気はいざという時のためにとっておきたいよね。

 

以上、2018年2月に思うこと&状況報告でしたm(__)mペコリ

隣の芝生は青いとイジケる。

自分がガンになるまで全然知らなかったことなんですが、ガンって部位によって全く違うもの、なんですよね。治療法は当然として、深刻度が。ガンになる前はステージが目安だと思っていました。何となくのイメージで、ステージ1や2は治りやすい、3から上は中々大変、みたいな。その認識、違ってました。一番重要なのは実は部位だった。

叔母が大腸ガン(結腸)になりまして。親族から「ステージ3でショックを受けている、同じステージの経験者として何かアドバイスを」と言われ大腸ガンのステージ3を調べたら、、、5年生存率が食道ガンのステージ1程度で、逆に私がションボリという顛末にw 食道ガンのたちの悪さを再認識(T_T) やはり膵臓・肺・食道ガンの数字の悪さは別次元な感じなんですよね。医者がかかりたくないガンランキングの、不動の上位グループでもあります。病院内では同情で大切にされるかも?←負け惜しみw

この手のランキングって、色々理由をつけたりしてるけど結局は治癒率が悪いのを並べてるだけで、わざわざアンケートとか取る必要ないよねって思います。意外性まるでなし。私でも書けるわぁ~(@^^)/~~~ムリムリ

叔母に関しては、明らかに私よりは大丈夫なわけで、「大丈夫です!(^^)!」という私の言葉は励ましというよりも真実。アドバイザーとして適役でありましょう。

それにしても突然やってきたガンがいきなりのフルスロットル、こんなハードモードからスタートしたくなかったなぁ。とは言え、もっとソフトなガンでも私のことだから大騒ぎしたはずで、結局は同じだったかもしれない。

けれど、怖い数字を見てノートPCをパタンと閉じる、とか、安易な励ましにイライラする、とか、主治医とガチバトル、とかは、なかったかもしれない。むしろガンになることで良い意味の開き直りが起こり、菩薩のような心を持ち「お見舞いに行ったらとっても穏やかで、こっちが逆に励まされちゃったわ〜」なんて言われるような素敵な人になれたかもしれない。まさにキャンサーギフト。普段は確率なんて所詮確率!個々には0か100だから!なんて言い張ってるけど、やっぱり数字が良い方が心に余裕が出来る気がする。ガンももう少し場所を考えて欲しかったなぁ。うーん、ザンネン✋←ふるっ

 

定期検査②

今日は内視鏡検査の結果発表@ガンセンターの日でした。

再発なし!怪しいところもなし!(^^♪

先日のCT検査@T大病院もオールOK!(^^)! 

というわけで、無事1年経過しました(^O^)/

内視鏡画像を見たところ、かつて白子のような物体がつらつらと9cmもあったところが、今では何事もなかったかのようにツルツルに。臓器への感想らしくないですが、愛おしい&美しい&麗しい姿でした。今、何フェチ?と聞かれたら迷わず食道フェチと答えますw 「すごいキレイ...」と呟きながらモニターをガン見してた私に、H先生がボソッと「カオルコさんは放射線が合ってたんですねぇ」と。その一言でこの1年のことが怒涛のように押し寄せてきて、思わず泣き笑いしてしまいました。遠くにいたはずの死がいつの間にか隣にいた。そして文字通りの命をかけた選択。

我に返って光免疫療法のことも聞いてきました。もしも再発した場合、対象になる可能性はあるとのこと。様々な条件、再発(しないけどっ)の状況がうまく合致すれば、ですが。そんなわけで、何もなければ良いですが、何かあっても引き続きジタバタします(宣言)

***

ガンになったのは残念なことだったけど、こんな経験は中々出来ないよね、という気持ちもあります。決して強がりではなく。無理やりポジティブに考えるわけでもなく。

まだまだ薄氷を踏むような日々は続きますが、滑り落ちることなく一歩一歩ゴールを目指したいと思います。

母と娘

昨日は母の家に行った。私から母の家に行くのは久しぶりで、ガン発覚前以来だ。仏壇の父にお礼を言った後、一緒に食事をした。事件はそのあとに起こった。

 

その前に母と私の関係性を説明すると。

母の性格は一言でいうと頑固で負けず嫌い。そして私も頑固で負けず嫌い。それ以外にも色々あるが、主にはその性格のせいで、私達の間には仲の良い母娘のほのぼのとした会話が成立しない。

例えば母は、10年位前から(現在83歳、持病なし)「あと5年位で死ぬだろう でも死ぬのは怖くない お父さんにも会えるし」などと言うようになった。こういうことを言うのはこの年齢では普通の事だと思う。要は年寄りなんだから大事にしてねと言いたい。実際、義母(87歳)も言う。これに対する正しい嫁の返答は「そんなこと言わないで長生きしてくださいね。まだまだお元気じゃないですか」だ。義母には迷わずそう言う。で、ありがとうね、などと言って話は丸く終わる。が、実母には出来ない。

母「あと5年位で、、、」

意地悪娘(私)「あ、いつもの死ぬ死ぬ詐欺?」

こうなると話は終わらない。

母「だって私、xx歳だよ!」

意地悪娘「どっか悪いの?」

母「いや、特には、、、」

意地悪娘「じゃ何でそう言うこというの? 年寄りだから大事してねって素直に言えば〜?」

 

この死ぬ死ぬ詐欺は、私がガンになってからも一悶着あった。

母「5年後のお父さんの法事、私行けるかなぁ、死んでるかもねぇ」

意地悪娘「は~!? 5年後に死んでる可能性は私の方が高いんですけど!」

その後、「私(母)の年齢を考えろ」「いやガンの方が死ぬ」と延々と不毛なやりとりがあり、さすがに母もガンの方に軍配があがると思ったのか、それ以来、母の死ぬ死ぬ詐欺はなくなった。(ホッ)

 

認知症になるかどうかでも一悶着。

母「私は絶対人に迷惑をかける死に方はしない! ぽっくり行くんだ!」

意地悪娘「誰でもそう思ってるよ。大体死に方なんてコントロールできないじゃん」

母「私だけは大丈夫! 万が一認知症になったらこっそりどこかで死ぬ!」

意地悪娘「どうやって?」

母「えっと。。。。。富士の樹海に行く!」

意地悪娘「認知症なのに一人で富士に行けると思ってるの? 電車?バス?タクシー?」

その後は、延々とどうやって富士に行くかという、1000%不毛の会話。

 

いや、私だってこんな下らない会話はしたくないですよ。ストレスだし。だがどうしてもこうなってしまう。私が「そんなこと言わず長生きしてね」「認知症になってもちゃんとしてあげるから心配ないよ」などと言えばいいだけなのだ。それで会話は平和に終わる。そんなの「今日は良い天気ね」「明日も良いといいね」と同じ位の、何の意味もないやりとりなのにね。

 

そして今回の事件のこと。

先月母が私の家に来た時、私はいつものように土鍋で玄米を炊いた。これには私なりの理由がある。マクロビ派にとって玄米を炊くというのは厳粛な行為。炊飯器は使わない。色々な願掛けをしながら火加減の調整をし、1時間近くかけて炊く。そんなふうにして炊いた玄米は本当に美味しいし、体の隅々にまで食の力そして天からの恵が行きわたる気がして、私は土鍋で玄米を炊くことが大好きだ。だがそれを見た母が、不便なことをしていると思い込み、私へのプレゼントとして炊飯器を買ったのだ。帰りに「これ買っておいたから。土鍋で炊くなんて面倒でしょ? 持って行きなさい」と言う。土鍋で炊く理由をさんざん述べたが、全く聞く耳をもたない。炊飯器の方が良いの一点張り。これ以上話すとまた不毛1000%の会話にしかならないと思い、私は「とにかく要らないから!」と言い捨て、炊飯器を受け取らずに帰った。

 

帰宅後。さすがの私も反省した。母の(いつもの)思い込みとは言え、母なりに私のことを思い、炊飯器を買ったのだ。電気屋さんで色々と悩んだりしただろう。83歳の腕には重かっただろう。それなのに私は一言のお礼も言わず受取りもせず帰った。母は今頃落ち込んでいるだろう。なんで私はこんなにいやな娘なんだろう。使わなくてもいいから「ありがとう」と受け取れば良かったんだ。小一時間ほど、今までのことも含め反省した後、母に電話した。

私「お母さん、ごめんね。せっかく買ってくれたのに。やっぱり炊飯器貰うわ」

これに対し、私が想像していた答えは以下であった。

想像の母「ううん、私こそごめんね。無理しなくていいのよ。返品してくるから」

だが、実際は以下であった。

実際の母「だから言ったじゃない! わけわかんないこと言ってないで炊飯器使えばいいのよっ!」

 

あ~反省して損した(-_-メ) 

この母が「落ち込む」わけなかった。この母にしてこの娘あり。(単なる愚痴でした)